端午の節句に食べる柏餅・粽(ちまき)について


 

日本では男子の健やかな成長を願う端午の節句に、古くから柏餅や粽(ちまき)が
食べられてきました。柏餅や粽(ちまき)のはじまりやその理由、地域の違いについてご紹介したいと思います。

柏餅編


柏餅は、平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡をはさんでカシワ又はサルトリイバラの葉などで包んだ日本独自のお菓子になります。 


<柏餅のはじまり>
その由来はカシワの葉を用いた柏餅は徳川九代将軍家重から十代将軍家治の頃、江戸で生まれました。


<端午の節句に柏餅を食べる理由>
カシワの葉の新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだことからとされています。

また、古くから柏の木は神様の宿る神聖な木と考えられていたことから宮中で料理の器として使われていたことも理由になったとされているそうです。

粽(ちまき)編


もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、ササなどの葉で包み、イグサなどで縛った食べ物になります。


<粽(ちまき)のはじまり>
中国が春秋戦国時代、楚(そ)の国王の側近だった屈原という人物が陰謀により失脚したのち、国の将来に失望し、川に身を投げて5月5日に亡くなったといわれています。

人々の信望を集めていた屈原の死を知った楚の国の人達は、小舟で川へ行くと、太鼓を打って魚をおどしたり、竹筒を投げ入れるなどして、屈原の死体を魚が食べないようにしました。

後に、屈原の幽霊が「供物として捧げられる竹筒が手元に届く前に蛟龍(こうりゅう)に食べられてしまうので、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ってほしい。」 と言いました。
こうして川へ流すようにしたところ、屈原のもとへ供物が届いたそうです。

これが粽(ちまき)のはじまりといわれています。


<端午の節句に柏餅を食べる理由>
中国では屈原が亡くなった日(5月5日)にちまきを食べて厄除けをする風習が生まれ、それが日本にも伝わったとされています。

柏餅と粽 (ちまき)を食べる地域


江戸の地で生まれた端午の節句に柏餅を供えるという文化は、参勤交代によって日本全国に行き渡ったと考えられています。

一方で粽(ちまき)が、中国から日本に伝わったときの都が関西にあったことや、カシワの木が関西にあまりなかったことが柏餅よりも粽(ちまき)が西日本に広がった理由の1つにあるようです。

端午の節句に中国から伝わった粽(ちまき)を食べるのは関西地方に多く、日本独自の風習として生まれた柏餅を食べるのは関東地方が多いのは、このようなことが理由にあると考えられています。

BACK


Copyright (C) 2017 AIA. All Rights Reserved