02月の行事

「節分」 (2月3日)

 「節分」は、季節が分かれる節目と言う意味。立春、立夏、立秋、立冬の前日を指しますが、現在では特に立春の前日を節分と言うようになっています。冬から春になる立春は、古くは1年の境として考えられていたからです。

 季節の移り変わる時期には厄災や疫病が増えるため、それらを鬼に例えて追い払う「追灘」と言う儀式がありました。鬼に向かって豆をまく風習はこれに由来していると言われます。

 節分の日の夕方、「節分豆」として煎った大豆を神棚に供え、年男か厄年の男性が「鬼は外」と2回唱えながら玄関から外に向かって豆をまき、次に「福は内」と2回唱えながら家の中に豆をまきます。豆をまいた後は福が出て行かないよう戸を閉め、「今年も無病息災であるように」と願いながら家族がそれぞれの年の数だけ豆を食べます。

 地域によっては、いわしの頭をひいらぎの枝に刺して、玄関や軒下に飾る邪気払いの風習があります。また最近では、細めの巻き寿司を丸ごと1本持ち、その年の恵方を向いて食べる習慣も広まっているようです。

 また、数え年で厄年にあたる人はこの日に厄落としの儀式をすることが多いようです。神社でお祓いを受け、祝詞を上げてもらいます。その夜には家族や親戚、知人を招いて宴を開きます。来訪した人で厄を分け合い、持ち帰ってもらうことで災厄を払おうという意味があります。

 

「針供養」 (2月8日)
 針供養の由来と歴史的背景は、遠く江戸時代に、京都にで針仕事をする人が、一日仕事を休んで、折れた針や使い古した針に、感謝を捧げる風習が始まりました。そして、この風習が、各地方の特殊なしきたりや宗教的背景と結び付き、それぞれ特異な形で発展してきました。しかし全般的にみれば、これらはお仕事始めの日から始まり、針供養の行事と平行して行われたのが基本である。供養は一般に、古い針や折れた針を紙に包んで、あるいは豆腐やこんにゃく等に刺して、海や川に流したり、神仏に供えて裁縫上達を祈願していました。
 十二月八日か二月八日のいずれかに行われています。

 

「建国記念日」 (2月11日)

 昔は「紀元節」と言っていたようで、これは初代天皇の神武天皇の即位の日を表したようです。
 神武天皇は日本書紀や、古事記の中に出てくる最初の天皇で日本書紀上では天照大神の曽孫(ひ孫)とされています。即位したのは紀元前660年にあたるそうです。即位した年を皇紀元年としています。
 2/11が紀元節と制定されたのは明治7年(1874)です。
最初(明治5年11月)は、旧暦1/1を新暦換算して1/29にしたんですが、後年(明治7年
10月)改めて逆換算してみたところ、2/11が正しいという事になったようです。
こうして「紀元節」が誕生しました。
これが昭和23年、祝日法の交付により廃止され、昭和41年の法改正に合わせて復活、「建国記念日」とされました。

 

「バレンタインデー」 (2月14日)

 2月14日のバレンタインデーは、ローマ司教サン・バレンティノに由来します。3世紀のローマ帝国では、兵力を増強するため、結婚禁止令を定めていました。これに抵抗したのがサン・バレンティノでした。彼は愛し合う恋人達の味方となってひそかに結婚の手助けをしたのです。ところが王の怒りにふれ、処刑されてしまいました。その日が2月14日だったと言います。

 このことから、後に彼は愛の守護神として敬愛されるようになりました。また、2月14日は、春に先駆けて小鳥が愛の歌を歌い始める日とされていたことも結び付いて、愛の日となったようです。

 最初は親子が愛の教訓や感謝の思いを書いたノートを交換し合う日だったのが昭和30年代から日本では女性が意中の男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日として定着してきました。

 いまやバレンタインデーには盛大にチョコレートが送られますがこれは日本独特のもの。会社や学校では日常のお礼として、義理チョコも盛んに送られていますが、普通は夫婦や恋人同士でちょっとしたプレゼントにカードを添え、まごころをこめてお贈り物をします。

 バレンタインデーが盛んになったのを受ける形で、最近は3月14日のホワイトデーも一般的になってきました。これは、バレンタインデーのお返しをする日として始まったもので、日本独自の習慣です。

 

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