7月の行事

「七夕」 (7月7日)
〜・ 一般的なお話 ・ 〜
 むかしむかし、天の神様である天帝には織女という美しい娘がおりました。天の川の西に天界の機を織る織女は、神様たちのために素晴らしい着物を作ります。織女が毎日忙しく織物をしているのを見た天帝は、対岸に住む牛飼いの「牽牛」と結婚させ天の川の東で暮らさせることにしました。
 ところがどうしたことでしょう。二人は遊んでばかりいて、仕事を怠けるようになってしまったのです。このままでは、神様たちの着物はどんどんボロボロになり、牛たちも世話を受けられずに病気になってしまいます。織女の幸せそうな姿を嬉しく思っていた天帝も、これにはとても怒りました。そして、二人を天の川の両岸に引き離したのです。すると織女は毎日泣いてばかりです。気の毒に思った天帝は、1年に1度7月7日だけ、織女が天の川を渡って二人が逢うことを許したと言う事です。

WEB絵本「PALE BLUE SITE」のたなばたを読む

〜・ 鹿児島県喜界島の七夕のお話 ・〜
 1人の若い牛飼いがいました。姉妹の天女が天から降りて、泉の傍らの木に「飛羽」を掛けて、水浴をしているところを見つけて、その飛羽の1つを隠したのです。姉は驚いて飛んで天に帰りましたが、妹は牛飼いが飛羽をかえしてくれないので、困ってとうとうその牛飼いのお嫁になりました。
 数年後二人は、天とうへ親見参に行くことになりました。飛羽をつけ夫を抱えて飛びながら「私といつまでも一緒にいたいなら親たちが縦に切れと言うのを横に切りなさい」と約束させました。
 天とうではキュウリの季節で、二人にキュウリを取ってきて出したのです。牛飼いが包丁を持っているときに、不意に親が縦に切れと言ったので、うっかりキュウリを縦に切ってしまいました。すると二人の間に川が出来て、天女と牛飼は両岸に分かれてしまいました。その日が7月7日で、その日以来二人は1年に一度、この日ではなくては逢えなくなってしまいました。

年中行事覚書・柳田國男

 

「海の日」 (17日)
〜・ 由来 ・ 〜
 「海の日」は、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日」として平成8年、国民の祝日となりました。
 日本は海に囲まれ、昔から外国からの文化の伝来をはじめ、人の往来や物の輸送、産業、生活などの各分野にわたって、海に深くかかわってきました。最近では、海洋開発やウォーターフロントの整備、またマリンスポーツの普及など海を利用する機会は急速に多様化しています。さらに、地球環境の保全という観点からも、海の役割が重要視され、海洋汚染防止などの必要性が一層高まっています。
 7月20日は、昭和16年以来「海の記念日」として、海運、造船、港湾などの海事産業や船員等これらに従事する人々について国民に理解を深めてもらうに、全国各地でいろいろな行事が開催されてきました。
 このような海の重要性にかんがみ、近年になって国民の祝日「海の日」を設けようとの国民運動が大いに盛り上がり、その結果、平成7年2月に国民の祝日に関する法律の一部改正が行われ、平成8年から7月20日が国民の祝日「海の日」として制定されました。

 

「土用の丑の日」 (7月23日)
〜・ 由来 ・ 〜
色々な諸説がありますが、その中の2つを抜粋…
@太田蜀山人がうなぎ屋さんの依頼で店の繁盛策を考え、土用鰻は夏痩せに効果があり特に丑の日には食当りしないという意味の事を広告させた。

A当時有名な科学者、平賀源内が夏場売上げ不振のうなぎ屋さんのために依頼で看板を書いた日が たまたま土用の丑の日であったので「本日土用丑の日(今日うなぎを食べると体に良い。)」と店頭に掲げたのがはじまり。源内先生のいうことなら…と、みなうなぎを食べ、そのお店も繁盛したそうです。その後、他の店もそれを真似して現在にいたるようです。
〜・ 土用とは ・〜
 一般に単に土用といえば、夏の土用をいいます。土用とは立春・立夏・立秋・立冬の前各十八日間をいいます。 これは陰陽五行説において、春を木、夏を火、秋を金、冬を水に割り当てると、土が余るので、この土用の期間に割り当てたものです。
 春は清明、夏は小暑、秋は寒露、冬は小寒の後の各十三日目の土用入りとなり、土用の期間は各々18日程度ですので、全部で73〜74 日くらいになり、ちょうど1年が5等分されることになります。
 土用の間は、造作・修造・柱石等土を動かし、壁を塗る等も忌むべき事とされました。
〜・ 呼び方いろいろ ・〜
 大阪ではうな丼の事を「まむし」と呼ぶそうです。
〜・ うなぎのさばき方 ・〜
 うなぎの調理法にも関東風、関西風があります。関東ではウナギは背から、逆に関西は腹から裂きます。
 武士が多かった関東では腹を裂くと「切腹」を意味するので縁起が悪いとされ、それで背から裂いたそうです。そのため、うなぎを焼く前に身の薄い腹側が内側になるので”形を保つため”に蒸すようです。また 関西では商人が多く「腹を割って話す」という意味から腹を裂くようになったそうです。 

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