自分は今、片手にペンを握り初めてコラムなるものを書こうとしている。
が、実は未だに題材が決まらないので、タイトルは後付けしようと思う・・・・。
とりあえず、自分(現24歳)の育った町には、”九州で2番目に汚い川”と言われていた(今は!?)川が流れている。
局地的ではあるが、確かに川の水面には油膜が虹色に光り、中に入れば、足に出来物ができるような汚い川だったことは筆者が身をもって体験している。
しかし、自分はこの川が大好きだった。水草が青々と茂り、生息する生物達の種類も非常に豊富で、幼い頃(5、6歳頃)はよく祖父と一緒に川に入り、鯉や鮒、名前も知らない川魚を網ですくって遊んだ記憶がはっきりと残っている。勿論、食用ではない。
捕まえた魚は家に持ち帰り水槽で飼うか、川へ逃がしてやるかのどちらかだった。
魚にとってはさぞ迷惑だったろうが、幼い自分には祖父と遊ぶ喜びと、魚を見たいという楽しみだけが漠然とあったことを覚えている。
楽しかった思い出とは裏腹にそうではない思い出も当然あるもので、何度か足を捕られて溺れかけたことがあり、その時に川の怖さを覚え、捕まえた魚が死ぬと悲しくなったりもした。
自分にとってこの川は他にも色々な事が思い出される場所なのだがつい最近、ふとその場所へ風が吹いたので足を運んでみると、自分の知らない風景に我が目を疑った!!
両岸がコンクリートで固められ、水草も無ければ魚影もない。川ではなく下水道という言葉がピッタリ当てはまるような水が流れるだけの「構造物」となっていた。
川全体から見れば短い範囲ではあるが、そこに生息していた生物達は生活の場を奪われたことに変わりはなく、自分にとっては懐かしい学び舎を一つ失ったような淋しさを感じた。
話は少しずれるが自分が調べたところでは、我が国の国土面積当たりの道路密度はすでに英独の2倍に達し、世界の1%の国土に10%の車が走っているらしい。
身近に何か起こらねば意識させられないということが問題ではあるが、この先自分達の住む国が「コンクリート」で造られた「真っ直ぐ」な「構造物」で埋め尽くされる作り物になっていき、川の魚達のように住みにくい社会になっていくような気がして仕方がない。
題:川を見て思いました...。
鬼平
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