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「今は昔、草取りの翁というものありけり。庭にまじりて草を取りつつ・・・」どこかで聞いた文言ですが、そう「かぐや姫」の出だしです。「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり。名をば、さかきの造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。」で始まる「竹取物語」は皆さんなじみの話しと思います。 小判などの光り物は絶対に出ない面白くない話しですが聞いてください。それは草取りです。小生もいささか小さな庭を持っていますが毎年・毎シーズンの草取りには閉口しています。数年前あまりのひどさに意を決し小さな草まで全て取除いた時から始まった物語です。 今年はすでに種が落ちているので次回は種が出来る前にと思い翌年も頑張り一掃しました。当分は大丈夫と思ったのは大きな誤りで翌々年になると元の状態に逆戻り。折角きれいにしたのにとその後出た芽をせっせと取り除きながら気が付いたことがあります。それは生物の智慧(遺伝子情報)のすごさです。 どうも生物は種を作るとき、「お前は来年・君は再来年・あなたはその次の年に芽を出しなさい」とか温度・湿度などによる発芽情報が遺伝子に書き込まれているのではと勘ぐると同時に数億年の歴史の中で生物たちは子孫を後世に残す様々な智慧を生み出して来たのだなと関心しています。 また、背の低い物のみ残ったり、小さなうちに種をつけたりと次第に取りにくくなってきたようです。(まさか進化しているのでは?)数年前に落ちた種が尽きるまで芽は出てくるなと覚悟しつつ「さて、今年はどうしたものか」と悩みながらも草取り(自然の理)に意地でも挑戦しようと思っています。皆さんはどうされていますか?良い思案など意見をお聞かせください。
答えはどうでしたか。自分の性格が出ていると思いませんか。
by 悩める「草取りの翁」より |
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