垂水市
垂水市中俣の石之窪という村に、牧神様がまつられていたそうです。
今から340年ほど前に、島津彰久という殿様が、朝鮮での戦いの時乗っていた「月毛の駒」というりっぱな馬を、ここに牧神としてまつられたのが、そのはじめとされています。
そして毎年5月5日には、にぎやかなお祭りをして、馬の霊をなぐさめるようになりました。
それから150年ほどもたったある日、忠直という殿様がこの祭りにやってこられました。
祭りの儀式もすみ、これからいよいよ「苙の馬摘り(オロノウマトリ)が始まろうとしています。
「苙の馬摘り」とは、何頭かのあばれ馬を、深い谷底のような堀の中に追い込み、堀の外からそれらのあばれ馬に飛び乗って、手さばきよく、堀の外へ引き出すことだそうです。
殿様が来られた時には、もう堀の中では何頭かのあばれ馬が、「ヒヒーン」と声高くいななきながら、グルグルと走り回っていました。堀の外からは、「ブーッ、ブーッ」と、ほら貝を勢いよく、吹き鳴らすものですから、馬はその音におびえて、いっそう激しく暴れ出しました。
村のあちこちからやってきた大勢の見物人はその堀の上から、あばれ馬の様子を、ハラハラしながら見守っています。
用意もすっかり整い、これからいよいよ「苙の馬摘り」の始まりです。
「さあ!馬に飛び乗れ!」
威勢のよい掛け声とともに、若い侍たちがそれぞれ狙いのつけた馬に、なんとかして飛び乗ってやろうと懸命です。
でも、やっと馬に乗れても、ポーンと空高くはね上げられ、地面にいやというほど叩き付けられてしまうのです。おまけに、ほかの馬からも、どんどん蹴られたり、踏みつけられたりして大怪我をする侍もいました。
それでも、若い侍たちは、「なにくそ、負けるものか!」と必至で飛び乗ろうとしますが、なにしろ馬は、走り回りあばれ回るので、なかなかうまくいきません。
うまく馬に乗るには、勇気だけでなく、そこまでもやり抜く根性と、その馬を乗りこなすだけの立派な腕前を持っていなければなりません。
さて、堀の中には、ひときわ目立つあばれ馬がいました。その馬は、彰久という殿様が持っていた、あの優れた「月毛の駒」そっくりでした。走り回る姿も、本当にすさまじく、大抵の人は、見ただけでおじけづいてしまうほどでした。
若い侍たちは、何度もその馬に飛び乗ろうとしましたが、みんな地面に降り落とされてしまいました。すると、どこからともなく、ひとりの美少年がやってきて、さっそうとその塀に向かって突き進んで行きました。そして、塀のふちにたちどまり、じっと馬の様子を見ていましたが、
「えーい」
とかけ声勇ましく、ひらりと見をおどらせ、一番あばれん坊の「月毛の駒」に、ひょいとまたがっていました。馬は、大きく首をふり、後ろ足を高くはね上げましたが、少年はたてがみをしっかりとつかみ、じりじりと馬の首を引寄せました。しかし、少しでも少年がゆるめると、たちまちまたあばれ出すのです。しばらくそうしているうちに、その少年のたくみな手さばきによって、そのあばれん坊の「月毛の駒」も、だんだんと大人しくなっていきました。どうなることかと心配しながら見ていた人たちは。ほっと胸をなでおろし、いっせいに手をたたきました。
「はい、どうどう」
と、少年は、大きく胸をはり、殿様のほうへ馬をゆっくり進ませて行きました。そして、殿様の前まで来ると、軽く一礼しました。すると、おどろいた事に馬は、疾風のように走りながら、谷をこえ山をこえ、あっというまに姿を消してしまいました。黒い髪をひらひらさせながら、その背にぴったりと打ち伏した美少年を乗せたまま…
見物していた人たちは、一瞬の出来事にあっけにとられ、ただぼうぜんとして、その「月毛の駒」と美少年を見送るだけでした。この様子を見ていた殿様は
「あれほどの荒馬を乗りこなすとは、誠に立派なものじゃ。わしは今まで見た事がなかったわい。ぜひ、ここに連れて参れ」
と家来に言いつけました。
そこで、家来はあちこちの村を探し回りました。が、あの美少年はどこにも見つかりませんでした。
「あの少年は、よその国からやって来て、あの立派な馬を奪い取ろうとしたのではあるまいか」
「いやいや、あの馬は月毛の駒に違いない。あの月毛の駒は、牧神の霊を受けているので、普通の人では乗りこなす事はできないのだ。それで、神様が美しい少年に化身して、その馬をめし上げられたのに違いない。」
と家来の一人が言うと、みんなは目を見合わせてうなずき、そのまま黙っていました。
旧暦5月5日の節句の日、垂水の少年たちは、朝早くから馬追い旗をおしたて、ほら貝を吹きながら町を一周したそうです。垂水では、このいさましい「苙の馬摘り」の行事は、大正の頃まで続けられていましたが。今では浜平地区だけにしか残っていません。
これは「苙の馬摘り」の昔をしのんで。少年たちに勇気を与えるために。殿様が奨励されたとも、伝えられています。が、いつのことからかははっきりしなそうです。
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