鹿屋市

鹿屋川の近くに、「長谷城址」という文字をきざんだ、石碑(イシブミ)があります。
そこの石段を登ると、林の中にコンクリートづくりの観音堂があり、その中には、立派な観音像がおさめられています。この観音像の背中の所には「永正3年(1506年)に作られた」と書いてあり、これには次のような話が伝えられています。

むかし、鹿屋に、五郎治という若い男が、都からやってきて暮らしていました。
五郎治は、毎日山で木を切り、墨を焼いて暮らしていました。そして焼いた炭はちょくちょくお金持ちの家に持って行って売っていました。
その家には年ごろの若い娘がいて、いつも五郎治が炭を持って来るところを見ていていました。
そして、その娘がある日父親に
「父上、お願いがございます。どうか、わたしを五郎治さんのおよめに行かせて下さい。」
と言いました。父親は、思いがけない娘の言葉にびっくりして、
「それはならぬ。あんな者といっしょになると、お前は一生苦労するぞ。」
と強く反対しましたが、
「いいえ、わたしはあの人と一緒にならないといけないのです。そうしないと、あの人がかわいそうです。あんな仕事をして…」
と、娘の気持があまりにも強いので、父親はやむなく娘が五郎治の嫁になることを許しました。
五郎治とお金持ちの娘は夫婦となり、山の小さな家で中睦まじく暮らしました。ある朝妻が五郎治に
「あなたはいったいどこで炭を焼いていらっしゃるの?」
と尋ねました。五郎治が
「山の上じゃ」
と教えると、妻は
「わたしをそこに連れて行ってください。どんなところで炭を焼いているか一目見て見たいんです。」
と頼みました。五郎治は妻をつれて炭を焼いている所へと出かけました。
途中、山の中に小さな池がありました。見るとカモが5,6羽浮かんでいます。
「あ、カモじゃ」
五郎治の妻は、すぐに足もとの小さな石を拾い、カモめがけて投げました。
ポチャーン。バタ、バタ、、バタ…。
カモは池に投げ込まれた石に驚き逃げていきました。
「おら?今の石はただの石じゃなかったみたい…なんとなく良い石だったわ。」
と妻が小首をかしげていると五郎治が
「あんな石だったら
おれが炭を焼くかまの側に沢山あるぞ。」
と言いながら笑っています。それを聞いた妻は五郎治を急かし、急いで炭焼き場へ行き、かまの周りの石を拾った。
「わぁー、これは唐金よ、五郎治さん。」
妻の驚きようはなかった。唐金とは、青銅の事で大変値打ちの高いものでした。
「これを沢山持って都へ行くと、お金持ちになれるのよ、五郎治さん」
五郎治は、妻にすすめられるままに、唐金をいっぱいかついで都へ上りました。すると、それが飛ぶように売れて、五郎治はたちまちお金持ちになりました。妻は
「五郎治さんが、正直で働き者だから、きっと神様がお金をさずけて下さったんだわ。」
と言って喜んだ。五郎治は「前に都にいた頃から、長谷寺の観音様をお参りしていたからそのおかげだろう」と思った。
そこで立派な木を選んで都に上り、長谷寺の観音とそっくりに彫ってもらい、再び鹿屋に帰ってきて、お堂を作ってそれをおさめた。これが今の長谷観音です。

沢山の杯や、花が供えられ、周りの壁には「健康でありますように」と墨で書いたよだれかけが沢山かかっており、子育ての観音として人々にうやまわれている。
 

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