志布志町
大昔のことでした。天智天皇が乙姫という皇女をつれて、志布志をおとずれました。
この乙姫は、男のように気の荒い活発な方で、何でも思い切った事をしました。荒れた野を立派な田に作りかえるような良い事もしましたが、小島を海の中に沈めたり、村の真中に必要ではない池を掘ったり、また、大事な池をうずめたり、それはそれは、村人を困らせるような悪い事もしました。それで村の人々は、大変困ってしまいました。
これを知った天皇はとても怒りました。そして乙姫をひとり小船に乗せて、
「人々に迷惑をかけないように、一人海で暮らしなさい。」
と有明湾(志布志湾)の中に追放しました。
月の美しい夜でした。波が金や銀にかがやき、なんともいえない良いながめでした。しかし、島一つ見えない広い海の中に放り出された乙姫は、たちまち、陸が恋しくなり、どうにかして陸に上がる方法はないかと考えました。
そうしているうちに思いついたのが、この有明湾の真中に島を作る事でした。そこで早速、その夜のうちに島を作りました。その島が枇榔島です。
朝になって、村の人々は驚きました。昨日まではなかった海の真中に、周囲が10キロメートル近くもある大きな島ができていたのですから。
「あれは乙姫様が作られた島に違いない。乙姫様の事だから、何かしでかすに違いない。」
と村人たちは、噂しあいました。
この枇榔島から志布志までは、わずか40キロメートル足らずの距離です。島からは村の火も見え、乙姫は、そんなに寂しくはありませんでした。しかし、いつまでもこの島に一人でいるのはたまらないと思うようになりました。遠く、志布志の浜には、権現山が澄んで見えました。その山には、乙姫が想いを寄せる神様が住んでいました。それで、どうにかしてその神様に会いに行きたいと思いました。このことを海の神様にお願いしたら
「一番鳥が鳴くまでに、海の中に権現山まで続く岩の道を作る事ができれば会わせてやろう。」
と言われました。いよいよ夜になり。乙姫の仕事が始まりました。志布志の権現山に向かって、海の中に岩の道がどんどん作られていきました。ところが、あともう少しという時になって、「天邪鬼」という悪い神様に、この事を知られてしまいました。天邪鬼は、乙姫の邪魔をするようにニワトリに言いつけました。そして、まだ道を作り終わらない前にニワトリに
「コケコッコー」
と鳴かせました。
乙姫は、あまりに早くニワトリが鳴いたために。海の中に道を作りあげる事ができませんでした。それで枇榔島で一人寂しく過ごさなければならなかったのです。
枇榔島はその名の通り、島全体にビロウの木がおいしげる美しい島です。そして、今でも潮が引いた時には権現山へ続く海の中の岩道を見る事ができます。この岩道をはさむようにして、権現山神社を向いた枇榔島神社が建っています。人の住んでいないこの島で、一人寂しく一生を送った乙姫を祭るために、村人たちが建てたものだと伝えられています。
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