鹿児島県肝属郡高山町新富五五九五番
一、藤原氏南家系統流の右大臣藤原是公十四世孫、二階堂行政(政所令)の六世二 階堂泰行は、正応六年(一二九三)鎌倉から
薩摩国阿多北方(田布施)に下向し、その後阿多北方地頭職を仰付けられた。その後裔行盛(鹿児島住)は天正年中、島津
義久公から思し召しにより、この大林坊屋敷(高山)を拝領し、その子孫が、ここに 連綿として今日まで約四百年永住している。
この住宅は、二階堂行照が、文化七年(一八一〇)のころ建てたものである。分部大臣永井道雄は、昭和五十年六月二十三日この二階堂家住宅(おもて、な
かえ)を重要文化財に指定した。しかしこの建物は、昭和六十年八月三十一日の台風第十三号により災害を蒙ったの
で、文化庁は、同六十一年四月からその保存修理事業を 実施し、同六十二年六月三 十日これを完成した。 |
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