天璋院が生きた時代

〜天璋院年表〜

第13代将軍徳川家定の正室天璋院が生きた時代は、1835年(天保6年)から1883年(明治16年)までの約48年間です。この48年間について、天璋院に関係する主な出来事を年代順に列記すると以下のようになります。
1835年(天保6年)12月 父島津忠剛、母島津助之丞久丙の女(幸)の長女として生まれる。
1849年(嘉永2年)1月 吉書の儀(成人式)で成人名一子を賜る。
1853年(嘉永6年)3月 薩摩藩主島津斉彬の養女となり、名を篤姫と改める。
1856年(安政3年)7月 近衛忠熙の養女となり、敬子という新しい名前を授けられる。
1856年(安政3年)12月 第13代将軍徳川家定の正室となり、徳川家に輿入れする。
1858年(安政5年)7月 第13代将軍徳川家定死去し、髪をおろして天璋院と号する。
1858年(安政5年)10月 徳川家茂が第14代将軍となり、天璋院は将軍家茂の養母となる。
1862年(文久2年)2月 孝明天皇の皇妹和宮と第14代将軍家茂との婚礼が挙行され、将軍家茂の養母であった天璋院は、皇妹和宮の姑となる。
1866年(慶応2年)12月 第15代将軍徳川慶喜が倹約令を出し、天璋院は、大奥の総帥として大奥の経費節約に協力する。
1868年(慶応4年)1月 鳥羽伏見で戊辰戦争が始まる、天璋院は新政府軍の大総督府参謀西郷隆盛に対して、徳川慶喜の謝罪嘆願書を届出る。
1868年(慶応4年)4月 江戸城明け渡しの命がくだり、天璋院は一橋屋敷へお預けとなり、江戸城を出る。大奥の歴史に幕を閉じる。
1871年(明治4年)7月 徳川宗家16代当主徳川家達の養母として赤坂福吉町邸で家達と共に生活する。
1880年(明治13年)9月 天璋院、熱海と箱根を約1か月半に及ぶ、初めての旅行をする。
1883年(明治16年)11月 天璋院、千駄ヶ谷邸にて徳川家達夫妻に見守られながら死去、享年48歳。

 

上記の出来事を下記の3つに区分して、天璋院が生きた日本の激動の時代(幕末、明治維新)を、
  1. 政治経済
  2. 社会生活
  3. 薩摩藩(鹿児島)の3つの切り口で概略を紐解いてみたいと思います。
前期 1835年(天保6年)12月から
1856年(安政3年)12月までの約21年間
前期
中期 1857年(安政4年)1月から
1868年(慶応4年)4月までの約11年間
中期を読む
後期 1868年(慶応4年)5月から
1883年(明治16年)11月までの約15年間
後期を読む

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